今回はあんこうチームの秋山優花里でなく、その両親の秋山淳五郎と秋山好子の両名です。モデルは、秋山好古・真之の兄弟で日露戦争で活躍した軍人です。NHKの「坂の上の雲」の主人公として、兄弟+正岡子規の3名が登場しました。
Contents
両親のモデル
秋山淳五郎
優花里の父親。秋山理髪店の店主。優花里のことを溺愛している。
https://girls-und-panzer.jp/chara/jyungorou/
より引用、写真も同様
秋山真之(弟)の通称で、通称から貰った模様。
秋山好子
優花里の母親。しっかりもので秋山理髪店を支えている。
https://girls-und-panzer.jp/chara/yoshiko/
より引用。写真も同様
秋山好古(兄)の好から貰った模様。
秋山好古(1859〜1930)
彼は「日本騎兵隊の父」として日本の騎兵隊を育成かつ、日露戦争の勝利に貢献しています。
まず黒溝台会戦では、約8000人の部隊(守備範囲は40km)でロシア軍(約10万人)を足止めさせることに成功。その戦法は、騎兵のセオリーを捨て(いわゆる機動防御)、騎兵に機銃を持たせ砲兵(歩兵)の役割を期待しました。騎兵の本来の役割は、機動戦であると「本邦騎兵用兵論」では説いています。
次いで、奉天会戦でも騎兵と機関銃の組み合わせ攻撃+縦横無尽な騎兵戦で敵の退路を脅かす攻撃を行いました。
https://confu-han.hatenablog.com/entry/2016/09/09/210428
晩年は地元に戻り、私立北予中学校(現愛媛県立松山北高等学校)の校長を勤めました。教育熱心で、自ら教鞭を執るほどだったそうです。
秋山真之(1868〜1918)
日本海海戦における「本日晴朗ナレドモ波高シ」はあまりにも有名。東郷平八郎の参謀の一人として知られ、「東郷ターン」の発案者でもあります。ですが、この作戦は様々なリスクが存在し、一時は採用見送りになります。(連結魚雷を採用)バルチック艦隊との決戦当日の波の高さにより変更され、この作戦を行いました。結果論、日本の完封勝利で終わり、この海戦の勝利によって両国が講和へと歩み寄ります。
皇国この一戦にあり。各員奮励努力せよ。
という電報を大本営に通信したことは有名です。
ピンバック: 6月5日は秋山優花里 誕生日〜! | 大洗日記
なるほど、勉強になりました。
それにしても過去の偉人や英雄、会戦日時などをキャラクターの名前や誕生日に当てはめているって、なかなか凄いと思います。
コメントありがとうございます。諸々調べると出てくると思います。調べた制作者すごいです!